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北条重時という人物(史実・偉業・家系)

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リビドーロゼ

 

「北条重時」という人物について紹介します。

北条重時、六波羅探題北方

北条義時の三男です。
彼を主人公に応募小説を書きまして、
色々調べまくりましたので、ここにメモっておきます。

 

生: 建久9年6月6日(1198年7月11日) ※ 頼朝の死の1年前
没: 弘長元年11月3日(1261年11月26日) ※ 元寇の13年前

父: 北条義時(二代執権) ※ 北条政子の実弟
母: 姫の前(比企氏)   ※ 比企朝宗の娘、御所の女官「権威無双」と言われた美人さん

兄: 北条泰時(三代執権) ※ 『御成敗式目』を制定した人 異母兄
   北条朝時(名越流) ※ 同母兄
弟: 有時 ※ 腹違い弟
   政村、実泰、時尚 ※ 継室 伊賀の方の子
妹: 竹殿 ※ 同母妹
   その他、一条実雅室など

正室: 苅田義季の娘
子: 為時 ※ でも病気で廃嫡

継室: 平基親の娘 ※ 九条頼経(四代将軍)の女房の治部卿 (平基親さんは法然の『選択本願念仏集』を編纂した人)
子: 長時 ※ 6代執権(得宗じゃない中継ぎ執権) 赤橋流の祖
   時茂 ※ 常磐流の祖
   葛西殿 ※ 北条時頼の継室、北条時宗(8代執権)の母

側室: 筑前局
子 : 業時 ※ 普恩寺流の祖

側室: 少納言
子: 義政 ※ 塩田流の祖
   安達泰盛室

母不明の子 : 忠時 ※ 坂田流の祖
        中村禅尼
 
京の人らしく、たくさんの奥方がいて、それぞれに男の子がいます。
やっぱり、それでの苦労があったのでしょうね。
家訓で『奥さんは一人にしようね』と息子に伝えてます。
でも偉いのは、それぞれの男の子が喧嘩しなかったことですね。

 

別名:極楽寺観覚(出家後)
通称:六波羅北殿(京の六波羅探題の北方)
   極楽寺殿(鎌倉の極楽寺を建てた)
    などなど

偉業:『六波羅殿御家訓』『極楽寺殿御消息』を残しました!
    六波羅探題(幕府の京出張所?)の北方(長官)を17年間務める
    兄・泰時が『御成敗式目』を作るにあたって相談受けてる手紙がアリ
    連署就任(叔父の時房に続き、歴代執権を補佐)

 

重時は、北条小四郎義時が、まだ江間小四郎義時だった時に生まれた子です。
御所の女官だった正妻の「姫の前」の生んだ子としては、次男。
でも、泰時という嫡男がいたので、通称は三郎でした。

この当時、何番目の生まれであっても、
正妻の子が嫡男、という風習がありましたが、
義時はそれを無視して泰時を嫡男としています。

泰時は義時が21歳、頼朝が鎌倉入りした直後、平家滅亡前に生まれています。
ちなみにその後に正室となる「姫の前」が朝時を生むのが、
義時31歳の時。10年間の空白が気になる……。

泰時は特別な存在で、母が正室じゃない上に、
実際の所は誰が母なのかもイマイチわからないという状況ながら
(泰時の母として記録に残る「阿波局」は義時の妹だし。??なんです。)

朝時が生まれる頃に、「泰時が嫡男」と認定しちゃってます。
姫の前は正室なのに、男子を産んでも嫡男にはならないって承諾させられた?ってこと。
なんか深い事情がありそうですよね。

ま、そんな中ながら、姫の前は朝時と重時、妹の竹殿を産み、
幸せに暮らしていたわけです。(いや、実際のところはわからないけど)

 

そこへ、比企の乱が起きます。
画策したのは、重時の祖父の北条時政ではありますが、
攻め手の大将は、重時の父の江間義時。
重時の母の姫の前は比企の姫。

姫の前は義時と離縁して京へ。
(結婚の時に、頼朝と『離縁しない!』と誓ったのに……)
姫の前は京の貴族、源具親と再婚。
(源具親は、新・三十六歌仙の一人。藤原定家とも交流のあった人物。九条家とも仲良し)

が、姫の前は京に行った3年後に病死。
その頃には、次郎・朝時は鎌倉で三代将軍・実朝を烏帽子親に華々しく元服していたのに、三郎・重時の記載はまるで皆無。
その後、年頃を過ぎても元服記事すらありません。
(元服にちょうどいいくらいの年齢の時に朝時が御所で騒動を起こして勘当されて蟄居してるせいかも……)

和田合戦で、兄の朝時は何とか復権を果たしますが、重時の記述はやっぱり皆無。
朝時は英雄・朝比奈義秀と戦って、名誉の負傷をしてます。
重時は合戦には参加してないのかも。既に16歳で元服はしていたはずですが……。

重時の烏帽子親が誰なのか、あちこちググって書籍も調べましたが、わからないまま。
「時」は北条家の通字(一族代々継いでいく名)として、「重」は?
「重」のついた名で有名なのは畠山重忠ですが、彼はそれより前に討死してます。
それも、時政の命を受けた義時の大軍に攻め滅ぼされてるんですね。
重忠は義時の妹婿なんですがね……。
ま、「重」の字はよく使われていたので、武蔵の秩父党の誰かなのかもね。

さて、吾妻鏡に名前が出ないまま、更に数年が経った頃、
将軍・実朝が鶴岡八幡宮で甥の公暁に殺されます。

四代将軍の三寅(後の九条頼経:当時2歳)が京から鎌倉へと向かう時に
重時の名がいきなり出てきます。それもお付きの者、側近として。

そのまま重時は小侍所の別当(長官)に着任。当時、22歳。
小侍所は将軍の直属の家来という位置づけでしたが、
その主なお仕事は、その頃まだベイビーの三寅のお世話。

京から鎌倉へと来た三寅の世話係は、京の習慣に慣れている重時が適任ということなのかもしれないですね。

 

で、鎌倉で2年程忙しく過ごしている内に、朝廷と幕府の仲が悪化。後鳥羽院が「承久の乱」を起こします。

が、ここでも重時は出陣しません。
大大将は兄・泰時、北陸軍大将は兄・朝時なのに、重時は鎌倉でお留守番。
三寅のお世話係なので当然かもしれませんが、京の地理に強いはずなのに出陣しなくていいの?

義時が、後鳥羽院に送りつけた文がありまして。
「後鳥羽院は武芸が得意なのですから武士の合戦をお目にかけますよ。もし兵が足りないとおっしゃるならば、重時を大将に私自ら出陣します」
思いっきりケンカふっかけてます。

この時、官軍は数千から2、3万騎に対して、幕府軍は19万。
それ、イジメでしょ?

というわけで、無事「承久の乱」も乗り切り、
その戦後処理で泰時と時房が京の六波羅探題に残ることになるのですが、

義時が数年後に毒殺されるのです。それも正妻の伊賀の方に。
嫡男の泰時は慌てて鎌倉に戻り、ま、色々ありつつも何とか事が収まり、
泰時が執権へ、時房(義時の弟)はその補佐として鎌倉へ。

今日の六波羅探題は、泰時の嫡男・時氏と、時房の嫡男・時盛が治めてたんですが、激務のせいか時氏が若くして亡くなり、その後任として重時が北方に就任しました。(南と北だと、北の方が上)

 

その後は、重時は六波羅探題北方として幕府と朝廷の間に立ちます。
この頃の幕府は天皇の譲位にも口を出せる程の権力を持ちますが、
重時は朝廷方にもかなり好かれていたようです。

和歌も詠めるし、京の風習にも通じてるし、九条家とも仲がよい。
おまけに六波羅探題として治安の維持を頑張っていて
身内が罪を犯しても、なぁなぁにしない正義の人だったようです。

重時の家訓(六波羅殿家訓)はまた別のページで紹介しますが

  • ・女子供の話はよく聞こう
  • 物乞いにも優しく接しよう
  • 酒は飲んでも呑まれるな

云々。
とっても品行方正です。
この当時の荒くれ坂東武者とは大違い。(坂東武者も好きですよ)

ちなみに重時は結婚が遅く、生まれ年のわかっている子供は20代後半から30代くらいに生まれています。

この当時、元服(15歳)と同時に結婚する人も多かったのにやけに晩婚&子供も遅い。どうしてなの? とか妄想が広がります。

それはともかく、結局その六波羅探題北方を17年間も勤め、鳴り物入りで執権補佐の連署へと就任します。名執権・時頼の時代には、その舅として大活躍。でもけっして表に出しゃばらない見事な処世術で、北条と鎌倉幕府を支え続けます。
その血が赤橋流として、最後の執権・赤橋守時や、最後の北方・北条仲時、足利尊氏の正室・赤橋登子に通じて足利将軍家へと流れていくわけですね。(涙)

 

北条重時の人物考察と想像(やまの龍流、妄想とも言う)

「六波羅殿家訓」の解説・解釈と重時の人物像

「六波羅殿家訓」の原文紹介

北条重時の詠んだ和歌へ

 

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