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北条政子の夢買物語 35

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アワの夢「北条政子夢買物語」

 

 久しぶりに戻った北条館は少しずつ何かが変わっていた。女主人が変わったからだろう。物の配置、形状、空気感が、政子がいた時とは違っていた。
「まぁあ、お帰りなさい」
 牧の方がにこやかに出迎えるのを、政子は静かな気持ちで受け止めた。もうここは私の場所ではない。頼朝の妻として、北条という後ろ盾を持つ立場となったのだ。

「久しぶり。元気そうだな」
 背後からかけられた声に、政子はぴくりと細かく震えた。
「兄さん」
 兄は何も変わらなかった。優しい目で政子を見下ろしていた。それから、政子の腕の中で眠る姫を覗き込む。
「八幡姫か」
 あなたの子かもしれない。言いたいけれど言えるわけもない。政子は少しの間を空けて微笑んでみせた。
「ただいま」
 兄は微笑み返してくれた。それからいつもの優しい笑顔で口を開いた。
「おかえり」
 ああ、と政子の中で張りつめていた何かが崩れていく。政子は知らず涙を零していた。
「お前の帰る場所はここだ。だからいつでも帰ってこい」
 変わらぬ兄の優しい声。でも、その手はもう政子に触れなかった。
 政子は黙って兄の顔を見つめる。
「俺はずっとここにいるから」
 溢れる涙を政子は止めなかった。
 また兄が側にいてくれるのだ。もう、それだけでいい。

 それからは、何となく慌ただしい毎日だった。頼朝の元には人がよく集まるようになっていた。平家は朝廷において勢力を増していたが、その分反発も増していた。北条館には若い武士が集まるようになっていた。宗時が、各地の豪士の若者に声をかけているようだった。
 そんなある日、八幡を連れて外に出掛けていた時子が一人の青年に連れられて帰って来た。とても背の高い青年だった。
「足利三郎義兼と申します」
 そう言って、その背の高い青年は頭を下げた。聞けば、時子が代官館の家人に絡まれているのを助けてくれたと言う。
「足利と言えば新田と同じ下野の源氏ではないか」
「はい、父の足利義康は八幡太郎義家公の孫です」
「私の再従兄弟だな」
「お初にお目にかかります」
 頼朝は、よちよちと歩く八幡姫を抱え上げると笑って言った。
「八幡よ、よくぞ導いてくれたな」
 八幡姫は不思議そうな顔をしながら、父の烏帽子をぱたんぱたんと叩いた。

 その年の終わりも近づいた十一月、とうとう政変が起きる。平清盛が後白河院を幽閉したのだ。院の近臣達も数多く処罰を受け、平家はまたその所領を増やした。そして、この時、関東の有力武士、三浦氏と千葉氏は平家方から派遣された代官との対立を強めた。

 翌年二月、高倉天皇が譲位する。平清盛の娘の生んだ皇子がわずか三つで即位した。

 そして四月、以仁王の令旨が出る。
 諸国の源氏、そして大寺社に対し、平家討伐の命が下されたのである。

 四月二十七日、頼朝の叔父、源行家が伊豆の北条館を訪れる。
 頼朝は衣服を水干に整え、男山八幡を遥拝し、時政を呼んで令旨を受け取った。
 行家は他の源氏にも伝える為、すぐに館を後にする。

「政子」
 夕方、政子は頼朝に呼ばれた。ひらりと紙を手渡される。
「何?」
「平家を討てと命が来た」
 政子は驚いて頼朝の顔を見上げる。
「どうするの?」
「そうだな。そなたはどう思う?」
 政子は紙に目を落とした。物々しい雰囲気が漂っているが、その雰囲気は伊豆にそぐわなかった。
「もう少し様子を見たら?」
 そうとしか言えなかった。ここは京ではないのだ。すぐに平家が攻めてくるわけでもないだろう。東の方はまだ皆誰がどう動くのか手探りの状態だった。

 それに対し、宗時の動きは速かった。武器を集め始め、兵を訓練し始めたのだ。近隣の武士とのやり取りもかなり増えているようで、日に何度も文が届くようになった。
「あいつは最近、色々口うるさくて困る」
 父はそう零した。牧の方も困ったような顔をして曖昧な笑顔を見せた。
「それよりも嫁を取って落ち着けと言うのだが」
 宗時は独り身を通していた。

 五月、以仁王と源頼政の挙兵が発覚し、二人は討たれる。
    同時に、伊豆国は平時忠の所領国となる。
 六月、京にいる三善康信から奥州へ逃げるよう文が届く。
 七月、三浦と千葉が北条館を訪れて京の様子を伝える。
    走り湯権現の別当・文陽房覚淵も北条館を訪れる。

 そして、八月には平家の命を受けて出陣していた大庭や、その他東国の武士達が帰郷した。そのまま源氏討伐に兵を出すのではという噂が広まる。

 そんな折りのことだった。
「え、御文? 時子に?」
 そんな場合ではないのに。政子はそう思いながら牧の方の話を聞いていた。
「そうなのですよ。山木のお屋敷から届いているのですって」
 山木判官、それは平家方の国司代官だった。
「時子は?」
「困ってるみたいですけどね。まぁ、いいお話ではあるけれど」
 牧の方は、変わらず権力というものに興味があるようだった。でも、と政子は思う。時子は多分、山木は嫌だと言うだろう。

「絶対嫌です」
 予想通り、時子は美しい顔を強張らせて下を向いた。
「そうよね」
 ぱっと顔を上げて姉の顔を仰ぎ見る時子。
「私、好きな方がいます」
「ええ」
 政子は頷いた。
「足利殿でしょ?」
 時子はさっと顔を赤くしてまた俯いた。いいな、と政子は羨ましく思った。純粋に人を好きになり、その人のことを想って昼や夜を過ごせるのだ。
 もし、もしあの時、時子の夢を買わなかったら、私はどうなっていただろう? 時子はどうなっていただろう?
「わかった。一応、頼朝殿には話しておくわ」
 政子はそう言って時子を返したものの、その話をする前にそれよりも大変なことになったのであった。

 

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