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名こそ惜しけれ(頼朝と政子)8(終)

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リビドーロゼ

 

「富士川の戦いの時、私はあのまま京に上るつもりだった。でも止められたのだ。東国の武士達は腰が重い。自分達の土地が最優先だからな。だから私は決めた。まず足元を固めようと。あの頃はまだこの鎌倉はただの荒れ地だった。先祖伝来の土地というだけだった。だからまず、この鎌倉を一つの都にしないといけない。奥州の藤原のように」
 頼朝には癖がある。
 行為の最中、べらべらと喋るのだ。政子が頷こうと無視しようと構わずに喋る。熱に浮かされたように上機嫌で喋る。いつか呆れて言ったことがある。女を抱いている時に話すことではないだろうと。そうしたら頼朝は答えた。政子以外の女にはそんなことはしないと。それは一体どういう意味なのか。
 でも、憤慨する一方で密かに喜ぶ自分がいた。どんな女が頼朝の側にいようと、自分は頼朝にとっては特別なのだと。共に生きていく同志なのだと。
「都には魔物が棲んでいる。大路は人と妖とがすれ違い、寄生し合って生きている。あれに対抗するには同じかそれ以上の布陣を敷かないと呑み込まれるだけだ」
「はいはい、四神応神の地、でしょ」
 茶々を入れてやる。何度も聞いた頼朝の鎌倉都市計画だ。鎌倉にもう一つの都を作るのだという。
「ああ、そうだ。義仲は近く京に入るだろうが、あれはきっと呑み込まれるぞ」
「それをあなたは黙って見ているってわけ?」
 頼朝は静かに微笑んだ。それから首を振る。
「いいや、政子も自由になったことだしな。そろそろ動くぞ」
 そう言って、自らも腰を動かす。
「皆、御家人共も様子を見始めている。どうすれば新しい領土が手に入るか。今持ってる領土を奪われずに済むか。先に動くか後に動くか。碁と同じだ。相手の出方を見ている内に心が昂ってくる。攻めたくなる。自分の領土から少し足を出してみたくなる」
 荒い息の合間に攻めるように言葉を刻む。言いながらまた自分でも高揚していく。多分、頼朝は政子にこうやって話をすることで頭の整理をしているのだろう。普段、御家人達の前では涼しい顔をしているくせに、たまに嘘のように熱い顔を見せる。
 自分よりも十歳上。東国生まれの男達とは違い、どこか雅で土臭くなく、年齢不詳の男。初めて会ったのがいつかは忘れたけれど、いつ見ても飄々としていて、どんな危機でも澄ました顔をしているから剛胆な性格かと思えば、その実ひどい小心者。
 そのひどい小心者は調子に乗って喋り倒し、ついでに自らも果てて政子の上に身体を横たえた。冷たかった身体はすっかり温まり、小屋の中も温まり、気怠げな空気が充満している。
 政子はうっとりと目を閉じた。眠い。怠い。寝てしまおう。
 でも頼朝はそれでも構わずに喋り続けていた。
「万寿の誕生で比企が乳母の役を取った。それ以外の氏族は内心慌てているぞ。どうすればこの鎌倉で力を伸ばすことが出来るかと。北条がいなくなった。その隙間にいかに入り込まんとするか」
 心底楽しそうな声。もう構わずに流し聞きしていた政子は、ふとそれに気付いて思わず頼朝を突き飛ばしていた。
「え? 北条がいなくなった?」
 ゴロンと転がされた頼朝は頭をさすりながら起き上がる。
「ああ、そうだ。舅殿は伊豆に帰ったぞ」
 政子は頭から血の気が引いていくのを感じた。
「どうして? いつ?」
「牧の髷を落としてやったからな。牧の方が怒ったんだろう。 北条一族……いや、小四郎だけは置いて昨日伊豆に引き上げたぞ」
 政子はしばし呆然とその場に手をついた。眠気などすっかり吹き飛んでしまった。
 それから、やおら立ち上がると先ほど従者が差し出した包みを開き、乾いた着物を取り出して羽織る。頼朝の分も手に取って頼朝の方に投げつける。
「それを早く言ってよ! 帰るわよ!」
「え、どこに?」
「御所に決まってるでしょ! 父を呼び戻さないと!」
 すると、頼朝はニヤニヤと笑ったまま着物を羽織り、そしてからかうように言った。
「政子は何だかんだ言って父親が好きなんだな」
「何ですって?」
 キッと振り返って睨みつける。でも頼朝は肩をすくめただけ。
「大丈夫さ、小四郎が残っているから」
 政子はこめかみを指で押さえる。
「あんな、ぬぼーっとした子が一人残ってたって仕方ないじゃない!」
「ああ、そうそう。和田が御所の守りを固めようかと言ってきた。それから千葉が娘を側室にいらんかと」
 政子は手元にあった手ぬぐいを頼朝の顔めがけて投げつけてやった。
「よく平気でそんな話出来るわね!」
「だから大丈夫だって。舅殿はしばらくしたら帰ってくるから」
「何を根拠に!?」
「そなたが御所にいるから」
「は?」
「一、二週間程して里帰りに飽きたら帰ってくるさ。そうだ、ちょうどいいから迎えに行こうか。ついでにそなたも一緒に里帰りするか? 伊豆に帰りたいだろう?」
 あくまでもふざけた物言いの頼朝に、政子はため息をついた。
「暢気な人ね」
 それに対し、頼朝は曖昧に笑う。
「そうでもない。いつでもいっぱいいっぱいさ」
 なら、止めればいいのに。
 そう言いそうになって政子は口をつぐんだ。止められるわけがない。もう走り出してしまったのだ。

 

 

 御所までの道は既に空が白く明け始めていた。その空に薄く残る星を見て、ふと政子は思い出した。
「そう言えば、あなた昨晩、星が流れるのを見たって」
「ああ」
「不吉だわ。祓ってもらったら?」
「いや、いい」
 まるで気にしていないような口調。
「でも……」
「星はよく流れるのだ。気にすることはない」
 頼朝は馬を止め、まだ少し闇が残る西の方角を振り仰いだ。
「伊豆で暇だった時、私はいつも空を見上げていた。だから知っている。星は常に流れている。人が流星を恐れるのは、普段は下ばかり見て空を見上げていないからだ。大きな流星だけを指して異変だと騒ぐのは愚かなこと。小さな流星はいつでも流れている。一年の内でも多く見える日や季節もある。そういうものなのだ」
 伊豆で暇だった時。
 確かにいつもぼーっとどこかを見ている人だった。何を考えているのかわからなくて、捉えどころがなくて、理不尽に八つ当たりしてしまったこともある。
「あなたは神仏や言霊、風習などを信じるかと思えば、まるで信じなかったりもするのね」
 一緒になって五年程経つ。それよりもずっと前から知っている人だけれど、でもやっぱりわからない人だと政子は思った。
 頼朝は静かに笑ってまた馬を走らせた。
「いや、信じてるさ。それを信じる人のことは特にな」

 

 朝の御所は静かだ。でも、たくさんの人が詰めている気配がする。政子は万寿のいる部屋の方角を見遣る。もう既に人が起きて動いている気配がする。でも自分は呼ばれない限り近付くことが許されないのだ。
「じゃあな」
 言って、頼朝は大きなあくびをすると政子に背を向けた。でも、すぐに足を留めて振り返る。
「あ、そうだ。しばらく孕むなよ?」
 指を差されたその瞬間、政子は頼朝の頬を平手打ちしていた。
「痛い」
 頼朝が頬を押さえてうずくまる。政子はその傍らに仁王立ちした。
「痛いのは当たり前よ」
 我が侭で自分勝手で、人の気持ちなど考えなくて、何でも思い通りに人を動かして。
 頼朝は廊下に尻をついたまま政子を見上げた。足を前に投げ出し、首の後ろに手をやり、柔らかく人好きのする顔で微笑む。
「万寿はこの鎌倉の嫡男だ。私にくれ」
 柔らかな声とは裏腹に、はっきりと諦めろと口にされる。
「その代わり、そなたにこの鎌倉をやる」
 そんなものいらない。
 でも政子は頷いた。それから口を開く。
「いいえ、鎌倉くらいじゃ足りないわ」
 そうしたら頼朝は嬉しそうに笑った。それから何も言わずに背を向けて歩いて行く。朝の読経に行くのだろう。その背を見送って、政子は青く澄んだ空を見上げた。
 我ながら馬鹿だと思う。嫌だと拒否すればいいのに。つい、期待された通りの言動をしてしまうのは長女のせいだろうか。

 その後、頼朝は同母の弟、源希義を討った蓮池家綱と平田俊遠を討たせる為に土佐に兵を送った。この二人は平重盛の家人であったという。

 政子の父は……北条時政はその後しばらく鎌倉に帰って来なかった。何度か義時が伊豆に向かったようだが、父も意地があったのだろうか。
 頼朝が一度「明日、伊豆に行かないか」と声をかけてきたことがあった。直接呼び戻しに行こうと思ったのだろう。久しぶりの伊豆だと心を踊らせた政子だったが、でもその夜、信濃で木曾義仲が動くとの隠密からの報告が入り、その話は頓挫した。
「仕方ないな」
 頼朝はそう言うと、伏見広綱を処分した。遠江国への流罪を言い渡したのだ。伏見広綱は亀の前を最初に匿って政子に館を打ち壊された御家人だ。
 政子はため息をついた。これは見せしめの為の処分だ。父・時政を鎌倉に呼び戻す為の。父は帰って来るだろう。牧宗親の体面が保たれたとして帰って来ざるを得ない。もしこれで帰って来ないとしたら、次は義時が処分されかねない。
 この処分によって悪口を叩かれるのは政子であることを政子はわかっていた。頼朝の浮気が原因で起きた今回の騒動。人々は言うだろう。「御台所の怒りを買ったのだ」と。
 でも政子は顔を上げた。言いたいことを言うものは好きに言えばいい。
 鎌倉幕府は未だ幼く、そして大河に向かって漕ぎ出したばかりの小さな小船。その船の柱は源頼朝で、その頼朝の名にかけて東国の諸武士がまた小さな小船を繰り出して一大船団をつくり、朝廷という巨艦に戦いを挑もうというのだ。

「春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそ惜しけれ」
 そう詠んだ歌があった。
 この歌でいう名は「浮き名」の意味だ。

 そしてこの鎌倉においても「名こそ惜しけれ」という言葉がある。「武士としての名誉を重んじよ」という意味だ。
 対して、政子の名は「浮気にうるさく、怖い御台所」として悪名高くなっていく。
 でも自分の名などどうでもいいと政子は思っていた。ここは京ではなく、自分は姫ではなく、水面下で必死にあがく白鳥。どうせなら、烈女として名を馳せてやってもいい。鎌倉幕府が強固になるためであれば、そんな風聞など気にはしていられない。そう考えて、それから自嘲気味に笑う。なんて都合の良い女だと。自分は頼朝にとって都合の良い女なのだ。

 

 翌三月、頼朝は起つ。武田五郎を筆頭に信濃へと攻め入り、木曾義仲と対峙する。

 義仲は嫡子義高を人質として、八幡姫の許嫁として鎌倉へと送ってきた。八幡姫は義高に懐き、そして初めての恋をする。だが、それは先の見えぬ恋だった。

 

ー 終 ー

 

ひとこと

有名な、北条政子の「館打ち壊し事件」より。
幕府の公文書『吾妻鏡』にまで、
「御台所のお怒りによるもの云々」と明記されてます。
他にも「御台所の勘気を畏れて云々」とか多々アリ。
それでも頼朝さんは政子さんが最優先。
たかだか小豪族の娘っこ一人、捨てようと思えば
簡単に捨てられただろうに、捨てなかったのは愛よね?

 

 

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