前に「『真田丸』と大地震と、過去の日本列島と現在の危機」でも書きましたが、この戦国末期の日本は大地震の群発期。
一体、何が起きていたのかまとめてみました。
伏見城のフシンと全国で群発するM7クラスの大地震
さて、真田家の面々が押し付けあってた伏見城の普請。
史実だけを見ると、ちゃんと三人とも頑張って普請に携わっています。
というのも、朝鮮出兵の際に九州までは行ったものの、結局挑戦には渡らずに大阪に戻ったからね。
いや、とりさんの臨終で上田に帰った事になってるんだっけ?
大変だったのは朝鮮に渡った面々。
虎ちゃん、市松くん、長政くんは不満がたっぷり溜まってるよね。
秀次くんの弟、江与の二番目の夫、秀勝くんも病死しちゃうし。
いやいや、話が逸れました。
一番最初に建てられた伏見城は「指月伏見城」と言われ、月の名所だったそう。湖と言われるくらいの巨大な池をうまく利用し、京阪神の交通の要衝を抑えるという政略的にいかにも有利な位置にあったようなんですが、これが大地震で壊れてしまいます。
1596年9月5日、京阪神を襲ったM7相当の「慶長伏見地震」です。
震源は、有馬、高槻、淡路、六甲辺りの断層らしいです。
で、下が現代の京阪あたりの断層図。
水色の線が断層です。いっぱいありますね。そして今日も微震&無感地震が起きている。
でも、この慶長伏見地震の死者は1000人ほど。
現代だとどのくらいの規模になるんだか恐ろしいですね・・・。
この地震で、建てたばかりだった伏見城は倒壊するんです。でも幸いにして火事は起きず(ちょうど池の上だしね)、秀吉さんはからくも逃げて無事で、残ってた台所でホッとしたとかなんとか。
で、その二日後にはもう、平城京や難波宮なんかでも行われていたように、城の資材を解体してリサイクル&リユースで次の伏見城の築城を開始したと。すごいバイタリティですね。
地震慣れしてるというか、たくましいっつーか。
それはいいんですが、恐ろしいのは、wikiの慶長伏見地震の記事。
この地震の4日前には現在の愛媛で中央構造線を震源とする慶長伊予地震が、また前日には現在の大分・別府湾口付近で別府湾-日出生断層帯の東部を震源とする慶長豊後地震(共にM7.0と推定)が発生しており、双方の地震[注 1]による誘発地震の可能性が指摘されている[注 2]。これらの天変地異が影響して、同年中に文禄から慶長へ改元が行われた。また、兵庫県南部を中心に甚大な被害となった1995年の兵庫県南部地震(M7.3)は、本地震で破壊された六甲・淡路島断層帯における地下深くの滑り残しが原因で発生したとする説が発表されている。(wikiより)
9/1の愛媛、中央構造線の地震、9/4の大分別府湾の地震、そして9/5の京都伏見の地震。
M7の大地震の三連発!
なんて恐ろしい。
・・・が、それだけではないんです。
過去の歴史と、地震活動期の地下の動き
この慶長伏見地震の10年前、1585年に京阪神で大震。
翌1586年に天正の大地震(M8)。これは「『真田丸』と大地震と、過去の日本列島と現在の危機」で紹介した、山内一豊の娘が圧死した地震。
で、1590年には千葉の安房が大隆起。
そして、以下に続くのです…。
「慶長年間の主な地震」
- 慶長伊予地震
1596年9月1日、伊予国をおそった地震。M 7.0、寺社倒壊等。中央構造線沿いで発生したと推定される地震。
- 慶長豊後地震(大分地震)
– 1596年9月4日、豊後国をおそった地震。M 7.0〜7.8、死者700人以上。中央構造線と連続している可能性もある、別府湾-日出生断層帯で発生した(上記地震との)連動型地震とされる。
- 慶長伏見地震
1596年9月5日、近畿地方をおそった地震。M 7.0〜7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。有馬-高槻断層帯、あるいは六甲-淡路島断層帯における地震とされる。上記二つの地震に誘発されて発生した可能性がある。
- 慶長地震
1605年2月3日、南海トラフ巨大地震の一つとされてきたが、伊豆小笠原海溝付近震源説や遠地津波説など異論もある。M 7.9〜8.0。紀伊半島沖と房総沖が連動したとする説もあり、M 8.4〜8.5ともされる。津波地震と考えられており、地震動による被害は少なかったが、現在の千葉県から九州に至る広範囲の太平洋岸に津波が襲来し、死者1〜2万人を数えた。
- 会津地震(慶長会津地震)
1611年9月27日、会津地方をおそった直下型地震。M 6.9。寺社損壊、死者約3,700人。
- 慶長三陸地震(慶長三陸地震津波)
1611年12月2日に三陸沖を震源として発生した地震でM8.1(8.1-8.7の諸説あり)。ただし、津波の痕跡の範囲などからこの従来の定説に疑義があるとされ、千島・色丹(北海道太平洋)沖の震源と連動した大地震・津波だったとする説もある。この大津波による北海道・三陸の死者・被害甚大。地震被害の記録はほとんど無い。
- 慶長十九年十月二十五日の地震
1614年11月26日に起こった地震。従来高田領大地震とされたが、会津から松山に至る日本各地に被害記録があり、震源は不明。
もうね・・・わかりますよね。怖いですよね。
東北で起きた東日本大震災(2011年)・・・1611年の会津、三陸の津波地震ですね。
熊本大地震(2016年)・・・1596年9月4日の大分に近いね。
ちなみに、ここ数日(2016年7月現在)、八丈島(伊豆)が活性化して、規模もM6に近くなってます。警戒地域なので要注意。数ヶ月前はこの位置での地震は、こんなに浅い震源じゃなかったような…。
静岡出身の管理人は東海大地震恐怖ゆえに、地震データを眺めるのが趣味のような生活をもう十年以上行っておりまして……。だから、普段と違うと過敏に反応してしまう。
また今日あたりは落ち着いてますが、2,3日前には京阪の辺りで、普段より少し大きめの無感地震がポコポコと Hi-netに見えていました。
こう暑いとね、地球も活性化するのかもね。太陽の黒点とかね、地場とかね、色々あるんだね。
ただ一つ。
いかにも大地震が起きそうな伊予(愛媛)の伊方のゲンパッはもう止めましょうよ。
それから、熊本地震の時に天気予報・熊本地震の震度地図などから何故か綺麗に排除され存在を隠された、薩摩で動いてる真っ最中の川内ゲンパッ、地震直後に線量が上がってたけど(今は多少落ち着いたようだけど)、これもストップしましょうよ。
徳川家康さんは「最も多くの人間を喜ばせたものが最も大きく栄える」と言ったそうですが、様々な娯楽で楽しませて大事な部分には目を向けさせないのも、それはそれで多くの人間を喜ばせた、ってことになるのでしょうかね。
なんて、重い話になってきた所で、はい、おしまい。
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