建久10年(1999年)1月13日、頼朝は死にました。
ご存知の通り、頼朝の死については諸説ありますが、
死の直接の原因は、やっぱり落馬
それから続いて起こった肺炎説が有力と私は思います。
何で落馬したかというと馬の上で心停止しちゃったから、
というのが妥当なのではないかと。
安徳天皇の亡霊が現れたとか言ってる記紀もあるようですが、
それは作者の妄想でしょうね。
妄想は私も得意だけど、安徳天皇はヤメテ〜。
北条時政の陰謀説とか、朝廷からの毒では、とかも
色々言われておりますね。
北条陰謀説と、朝廷毒殺説
時政は確かに頼朝とはあんまりうまくいってなかったでしょうが、
それでも頼朝に寄生していた身で、孫は比企に取られちゃってる身。
頼朝さんをこのタイミングで殺したらかえって損すると思うんですけどね。
じゃあ、京からの毒かと言えば、それは結構有り得る話。
実際、大姫や三幡姫は呪殺、毒殺されちゃってますし
一条さん達もどう見ても暗殺されちゃってますし。
時代は後に行きますが、歴史上近い所(明治維新近辺)でもありますよね。
病死にされちゃってますけど、毒殺でしょ! ってな事件が。
大河では言えないから、サラーっと通り過ぎちゃってますけど。
そりゃあ、京の中央は陰謀術数渦巻くおっとろし〜い場所ですから。
でも、鎌倉初期の京の一部の方々としては、まだ後鳥羽さんも若かったし
承久の乱で倒幕を画策するほどになってないし
とりあえず入内を阻止出来ればよくて、頼朝さんを殺すほどの
勇気はなかったと思うんですけどね。
さて話が飛びました。
『吾妻鏡』によると、頼朝は虫歯に苦しんでいたようなんですね。
当時の虫歯治療は、当然お粗末さま。
薬をのんだり、祈祷したり、おまじないしたり、それくらい。
心に強いストレスを受けると歯周病になりやすいそうです。
その歯周病、かなり怖いらしいんですよ。全身に毒が回るんだとか。
心肺停止になることもあると聞きました。
ですが、落馬後の頼朝さんは一応意識があるようなんですね。
水を飲んでる記述が残っているようなので。
でも、その水を飲んだ後に体調が悪化。
落馬から2週間後に亡くなってます。
つーことから、老人によくある誤嚥性肺炎ではないかという説が……。
ま、そこに朝廷からの水に毒が……なんてのを入れても構いませんが
とりあえず頼朝さんの体調が急変します。
頼朝の死・考察
で、色々なサイトを読んだ上での私の説。
「ストレスフルで歯周病が進行していた頼朝さん。
橋の上で突然具合が悪くなって心臓停止。
思わず馬から落ちる。心臓はまた動き出したものの
ちょっぴり打ちどころが悪くて寝たきり生活に。
で、水を飲んだ時にうっかり肺に水が入り、
そこからバイキンが蔓延して急性肺炎に。
肺炎をこじらせて意識混濁。ご臨終……」
ううっ……気の毒だ。まだ53歳だったのに。
でも、何で『吾妻鏡』はすっぱり抜けちゃってるんですかねぇ。
だから北条氏のせいだとか、色々悪意をこめて言われちゃうのさ。
ま、言われてもいいよ。それでも私は北条氏が好きだからさ。
頼朝の死と政子、北条氏について
そんな美味しいネタの頼朝くんと政子ちゃんをネタに
ただいま、小説を書いております。
目標、あと10日で400字詰めで150枚分(目安)。
いや、無理でしょ。日中はフルで仕事あるし。
その後に家事もあるし、土日は家族で出かけるし。
でもやるんだー。私は締め切りがないとやらないんだー。
戦略も何もあったもんじゃないですよ。
まだそんな段階じゃないからね。
とにかく書きまくります。
本当はこんな日記書いてる場合じゃないんだけど
頭の整理とメモの為に残します。(晒し)
つーか、頼朝さんの死因調べてたら、
「歯医者行かなきゃ!」ってな気分になりました。
歯周病って怖い病気だったんですね。
最近物忘れが激しくてぼんやりしてるのも
もしかして……!
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