小四郎は無言で憤っていた。懲りずに騙された間抜けな自分に腹が立つ。視界には睦み合う男女が一組。片方は小四郎の兄で、もう片方は小四郎の姉。二人は小四郎をチラと見ただけで、また二人の世界に戻っていく。小四郎などいないかのように。肌色と肌色がぶつかり音を上げる。切羽詰まる呼吸音。
兄と姉とは血の繋がりがない。だから睦み合おうが喧嘩しようが勝手だ。だが自分はここに呼び出された。その意図は明白だった。小四郎を共犯者にしたいのだ。決して逆らわぬ忠実なる犬として。
姉はその頃既に他の男に嫁ぎ、姫を一人産んでいた。男の名は源頼朝と言った。父・時政がのし上がる為の手駒。三浦や伊東、千葉への牽制の為に父が手に入れた貴種だ。
その頼朝と時政、兄の間でそれぞれに忠誠を誓わされた男、江間小四郎は文を置くと黙って踵を返し、庭へと下りた。
「しょんねぇな」
小さく小さく、聞こえないように小さく呟き、暮れなずむ薄灰色の空を見上げる。何処に居ても何をやってもケチがつくのは次男の定めか。
一一七九年、伊豆国北条。のどかな田園風景と、悠然と流れる狩野川に囲まれて北条の館はあった。
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