その時、数名の足音がして、二人は刀を構え直す。小四郎も疲れて重い腕を無理矢理に振り上げた。
現れたのは大きな輿に乗せられた巨体の持ち主、狩野茂光。体重が重過ぎて馬に乗れないという理由で輿に乗って従軍してきた伊豆の実力者だった。
「おお、おお、北条殿ではないか!」
「これはこれは狩野殿。よくぞご無事で」
時政は先程の昏い表情はサラリと捨て、いつもの温和な顔つきで狩野の輿へと走り寄る。
「佐殿は峯に登られた。ここより先、輿では佐殿のお供は出来ぬでしょう。我々も一度散開して再起を期す所存です」
「そうであるか……無念だ」
時政は神妙に頷くと、無理に作ったような笑顔で宗時の方を振り返った。
「この三郎宗時が狩野殿を無事に領地までお送り申そう」
「そうか、かたじけないな」
小四郎はゾッとした。戦場の、こんな足場の悪いこの条件で、動きの悪い輿に乗った人物を擁護する?
それは死の宣告そのものだった。思わず兄を振り仰ぐ。宗時は血の気の引いた顔で時政を睨んでいたが、一瞬目を強く瞑ると覚悟を決めた顔で狩野茂光に向かった。
「お守り申し上げます」
それから足早に小四郎へと近付くと、何かを突き出した。
「小四郎、俺に何かあれば、政子へこれを渡せ」
手を出せないでいる小四郎の手を無理矢理取って何かを握らせる。それから何も言わずに踵を返すと時政へと向かって頭を下げた。
「では父上、御免」
時政の顔は一度大きく歪み、それから覚悟を決めるように歯を食い締めた。
「三郎、待て」
時政は自らの兜を下ろした。
「これは父祖より譲り受けた由緒正しき北条の兜。かの直方公由来の物である。これをお前に授ける。必ず生きて戻れよ」
宗時の手をしっかりと握る。その目には先程の昏い影はなく、いつもの快活で自信に溢れた父の顔があった。それから時政はそっと囁いた。
「お前の言う通りだ。佐殿に万一のことあれば、伊豆山神社での政子は危険に晒されるだろう。だがそれは同時に政子が自由になるということだ。狩野殿をお送りした帰りに迎えに行けばいい。我らは甲斐でそなたらが無事に戻るのを待っているぞ」
微笑む時政を宗時はじっと見つめて、それから少しして無表情のまま頷いた。
その時、ふと小四郎は違和感を感じた。でもそれが何かわからないままに兄は馬を進めて輿を先導していく。
「よし。では、小四郎、我らは行くぞ」
小四郎の返事など最初からあてにはしていない時政は、どんどんと先に進もうとする。小四郎は手の中に残された何かを見ないまま懐へとしまい込んで時政を追った。
この記事へのコメントはありません。