富士の湖の畔の戦場では、今まさに合戦が行われていた。
だがそれは不思議な合戦だった。
片側は距離を取って矢を大量に射かけ、もう片側は弓は地に打ち捨て、太刀だけで相手に近付こうと死闘を繰り返している。当然、太刀を手にする側の多くが矢に射られてバタバタと地に倒れ臥していく。数名の豪毅な武者が矢の合間を縫って進んだが、それらも長刀を持つ者によって鎧の隙間を刺し貫かれて倒れた。
「終わったようですな」
身を隠していた案内の僧がそっと口を開く。
勝利した側は真っ白な旗をあげている。ということは源氏の縁の者。甲斐源氏か信濃源氏か。目を凝らしていた小四郎は武者達の中に見知った顔を見つけて思わず立ち上がった。鎧がチリンと音を立てる。戦場に似つかわしくない涼やかな音。
「残兵か!」
強い誰何の声と頬を掠める熱。続く無数の刃の気配に小四郎は何も出来ずに立ち尽くした。小四郎の頬を掠めたのは小刀。そして小四郎の後ろの木立には、十寸程の短い矢がいくつも突き刺さった。
「待て」
静かな声が響く。小四郎はその声の主を見つめた。
「小四郎、来たか」
石和五郎が笑って立っていた。
「へぇ、佐殿は生き延びたか。安房へ無事辿り着ければめっけもんだけんどな」
石和五郎はそう言うと少し自嘲気味に口の端を上げた。まるで辿り着けなければ良いとでも言うように。
「今は清盛や時忠らにへつらう者が多い。伊豆はそういうヤツらに囲まれてる。てっきり石橋山でおっ死んだと思ったぞ。運がいいこんだ。さすが龍の娘を娶っただけあっちょ」
龍の娘?
聞き慣れない言葉に小四郎が眉を上げると石和五郎は肩を竦めた。
「おまんの姉君は龍の娘だ。顔相を見ればすぐに知れる」
そう言って、石和五郎は『龍の娘』の特徴を一つ一つ挙げていく。目は大きく鋭く、骨格は高く、額は広く角張り、顎も角形。こめかみには青筋が浮き立ち、とにかく水辺を好み、水を飲みたがる。気位が高くて負けず嫌い。
姉がそうかと問われれば、確かにそのようにも感じたが、正直な所はよくわからなかった。
「龍の娘を娶ると栄えるが、次代で滅びると聞く。だから武田は龍の娘は巫女とし、けして娶らぬようにと掟を作った。もし頼朝が生き残れば彼は栄えるかも知れんが、その子は分からんぞ」
不思議なことを言う石和五郎に、でも小四郎は小さく首を横に振った。どうでもいいと思った。膝を抱えるとその上に頭を落とす。ひどく疲れていた。
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