「よぉ、どうした? 鬼にでも喰われたよっちょ顔して」
蛭ヶ島の古い館。伊豆に流された直後に数年と、招かれた伊東から命を狙われて北条を頼って戻ってきての数年を頼朝が過ごした場所。空き家になっていたこの館には、ここ一月程、甲斐の石和五郎が住み着いていた。
「うんうん、誠におっそろしい鬼に喰われたのだよ。な、小四郎?」
思いがけない声に顔を上げれば、部屋の奥に頼朝が座っていた。朝からいないと思ったらここにいたらしい。てっきり江間にいるのかと思っていた。
「誠、恐ろしきは女。他家へと入った女はあの手この手で生き抜こうと鬼になるからな。小四郎などは尻からガリガリ食べられてもしょんないわ」
ギョッとして頼朝を凝視する。頼朝は悪気の無さそうなおっとり顔で笑っているが、その目は何かを雄弁に物語っている。見られていたのか、と小四郎は頬を引き攣らせた。
つい数日前のことだ。保子の言った通りだ。義母である牧の方は小四郎の部屋へと忍び入り、有無を言わさず小四郎を襲った。時政と牧の方が結婚してもう二年以上になる。だが牧の方に懐妊の兆しはなかった。子の無い嫁ほど立場の弱いものはない。牧の方は焦っていた。
「別にいいじゃない。館の外に男を作るのでなし。同じ北条の血なのだから」
兄にもきっとそうやって迫ったのだろう。だが兄が落ちなかったので小四郎の所に来たに違いなかった。必死で抵抗する小四郎に、牧の方は冷たい目をして笑ったのだ。
「いいわよ。子種をくれないというのなら、あなたの兄と姉が何をしているのかを殿に言うわ。佐殿にもね。それから江間の館で佐殿が何をしているのかも政子殿にお話ししましょうか?」
まさに鬼。小四郎なら容易く御すことが出来ると思ったに違いない。そして実際にその通りだった。
「あー、そりゃしょんねぇずら」
石和五郎が手にしていた小刀で矢の手入れをしながら口の端を上げる。
「男は外で戦うが、女は内で戦う。普通は姑が強いもんじゃが、後妻と長女が同じ歳じゃしょんねぇよ。佐殿が外に出てやりゃいいのに」
頼朝はおっとりと笑って首を頷かせた。
「うんうん、誠にその通りなんだが、私は流人で弱い立場だからなぁ」
「よく言う。好き勝手に遊び歩いてる癖に」
その時、庭先に安達藤九郎が姿を現した。
「殿、こちらでしたか。探しましたぞ」
「うんうん、ここだ。どうした?」
「比企の義母から荷を預かりましてな。北条の皆様方に差し入れをと思ったのですが……」
藤九郎の背後から五つくらいの年頃の子供が顔を出す。子供は挨拶もせずに館に上がり込むと誰かを探すようにキョロキョロと首を廻らし、それから文句ありげな顔で小四郎を睨んだ。
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