「皆、よく覚悟して聞きなさい。私の最期の言葉です。
亡き頼朝公が、ここ関東に幕府を草創してから、あなた達の官位は上がり、俸禄も増えた。その恩は山よりも高く、海よりも深い。でも今、その恩を忘れ、帝や上皇をたぶらかす者が現れました。それゆえ、義などまるでない、理不尽なる幕府への討伐命令が下されたのです。
もし、まだこれからも貴族に支配される世を望む者があれば遠慮はいらない。ここから去りなさい。ただし、まずこの私を殺し、武士の都たるこの鎌倉を炎に上げてから京へ向かいなさい!」
こんな言葉、言って何になるの?
そう思いながらも、私はそこに立っていた。
褒めてくれる人はもういない
頷いてくれる人はもういない
それでも約束だから私はここにいる
不安そうな顔をした男、迷った顔をした男、野心を隠すことなく睨みつける男、足を引っ張ろうとする男、他の顔色ばかり窺っている男。たくさんの男達がここにいて私を見ている。疑うように、試すように、謀るように、値踏みするように。
でも、あなた達は皆、武士。ここは武士の都、鎌倉。
私を愛した二人の武士がつくり、私が愛した二人の武士が命をかけた。
海の底、混沌とした淀みの中、私たちはアワのように混じり合い、ぶつかり合い、そして昇華していった。未来の私達の子供のために。
政子は側にあった一振りの太刀を手にした。
「ご覧なさい」
すらりと鞘から抜き放つ。
異様な空気が場を圧倒する中、政子はひらりと一枚の紙を宙に投げた。紙はひらひらと蝶のように舞い、床へおりる。刀に止まって羽を休めるように見えた瞬間、はらりとその蝶は身を二つにした。
「源氏の宝刀『髭切』です。八幡大菩薩様はこの刀にお誓いをくださった。この世を正す力になると」
その時、居並ぶ男達は確かに幻影を見た。将軍の為の上座、今は主をなくしたその座に、薄い影が揺らめくのを。
それは紛れも無く、将軍頼朝公の姿。
在世中の時のようにゆったりと腰掛け、にこやかだけれど、どこか人を食ったような笑顔でゆったりとまわりを見回すその人の姿に、男達は呻き、腰を抜かし、頭を垂れた。
政子は頼朝と目を合わせ、軽く目で頷く。
キツネ、よくもやってくれるじゃない。あなたの最後の大芝居ね。
さあ、締めくくりをするわよ。
政子は『髭切』を高く高く掲げた。
「いざ鎌倉! この世を正す気概のある男は立ち上がりなさい! あなた達は武士。誰にも恥じることの無き誇り高き武士なのです! 我々は二度と貴族の犬になど戻りはしない!」
どっと男達は歓声を上げる。その声を聞いて、政子の横に控えていた執権義時は幕府の勝利を確信し、目をそっと伏せた。
ねぇ、風になったあなたになら、私の声は届くのかしら? ただの一言も、私はあなたに伝えられなかったのに。私のすべてを飲み込んであなたは空になった。
私は一人じゃない
それでも、あなたは本当にそう言うの?
一番大好きな人。頼朝殿。
あなたは私の同志。私を許し、認め、羽ばたかせてくれた人。
一番愛している人。兄さん。
あなたは私の魂そのもの。私の罪すらのみ込んで包み込んでくれた人。
たった一度きりの逢瀬。あの夜に、私は私の時を留めてしまいたかった。
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