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北条政子の夢買物語 29

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アワの夢「北条政子夢買物語」

 

何日か経って、やっと藤九郎盛長が顔を出した。
「いやいや、長く留守をしてしまって申し訳ありませんでしたな」
含みのある言い方に政子は腹を立てたが、でも突っ込まれたくない事情はあるから仕方がない。知らんぷりを決め込む。
「それにしても、あの日は間に合わないかと思ったぞ」
「申し訳ありませぬ。少しばかり遠出をしておりました」
「宗時と一緒だったな」
政子はぎくりと肩を震わせる。あの日、男達が襲ってきた日。政子が忘れようとしていて忘れられない日のことを男二人は話し始めていた。
「三郎殿と立ち話になりましてな。その時に、鳩が一斉に飛び立つのが見えたのです。それで慌てて、三郎殿に加勢を頼んで戻った次第ですよ」
「そうか」
「兄と立ち話って、一体何を?」
政子は何となく嫌な予感がした。あの日、政子は一日家を空けていた。朝、兄と過ごした部屋を出てから家を抜け出し、一晩帰らなかったのだ。兄はきっと心配して方々探したのだろう。
「いえ、これと言って何も」
嘘だ。兄は自分を捜していたはずなのだ。なのにどうしてそう言わぬ。でも、もうそれを強く問い質せない政子がいた。
そんな政子を見て、ああ、と藤九郎が声を上げた。
「そろそろお迎えが来ますぞ」

 

「姉さん、戻ろう」
馬に乗って現れたのは、義時だった。相変わらずの無表情で政子を見、そして頼朝を見る。政子は小さく震えた。
「小四郎」
義時は政子には返事をせずに頼朝に軽く頭を下げた。
「佐殿、姉を迎えに参りました」
「そうか」
頼朝は軽く目を伏せてそれに答える。政子は自らの胸に握りこぶしを当て、不安に高鳴る胸の鼓動を抑えようとした。
「私、まだ戻らないわ」
「三郎兄さんが話があると言っている」
「でも」
「政子」
頼朝の声だった。初めて名前で呼ばれた。今まで姫、そなた、など当たり障りなく声をかけてきていたのに。政子は動揺して頼朝の顔を振り返る。そこにどんな意味があるのかを探ろうとして。
頼朝は静かな目をしていた。それを見たら、政子は少しずつ胸の鼓動が収まるのを感じた。別に、大したことじゃない。そうよ、大したことじゃないわ。
政子はいつもの気丈な目に戻ると、頼朝に向かって頭を下げた。
「お世話をかけました。じゃあ、またね」
振り返って馬小屋に向かおうとする。自分の馬を取って来ないといけない。
でもその時、ぐいと手を掴まれ、政子はよろけた。どん、と戸口に背が当たる。頼朝の腕が政子の肩をまわり、閉じ込められた形になった。
「ちょ、ちょっと、何?」
頼朝は政子の首筋に顔を埋める。
「行かせたくない」
義時が黙って見ている。政子は指先が冷たくなっていくのを感じた。兄に伝わるかもしれない。勿論、政子がここに残ると言った時点で宗時はわかっているはずだ。でも、小四郎にまで見られた。もう二度と後戻りが出来ないのだと政子は改めて知った。
「私は八重姫ではないわ」
精一杯の笑顔を作ると頼朝の絡みをやんわりと交わし、政子は大人の余裕を見せる。それに対し、意外にも頼朝は余裕のない色を見せた。
「わかっている。だから、尚更行かせたくないのだ」
政子を見つめるその瞳の中には、静かだけれども確かに燃える情熱があった。政子は驚いて言葉を失う。でも、ううん、と首を振る。

本当に口が上手な人だ。女が言われたい言葉を見事に口に乗せてくる。それも、そんな情熱的な目をして。
政子は負けるもんか、と思った。
「本当に口ばっかりなんだから。でもね、一途な姫や、その父兄に逆恨みされて殺されない程度にしなさいね。じゃあ、元気で」
多分、頼朝と会うことはもう二度とない。
頼朝の身体の温もりを、政子の文句を笑って聞いてくれる鷹揚さを、丁寧なその抱擁を、屈託のない笑顔を、そして何を言っているんだかよくわからないけれど、低くて柔らかい心地の良い声で子守唄のように聴かされる話を、それら全てを二度と味わえないのだと思った瞬間、政子はほんの少しだけ残念に思った。そして、そんな感情を不思議にくすぐったく感じながら、政子は笑って頼朝の腕を解いた。
「馬を取ってくるわね」
言って歩き出す政子を追う言葉。
「二度と会えぬような言葉を口にするな」
「会わないわよ。おかげさまでね!」
「いや、そなたは絶対に帰ってくる」
「今度は何を根拠にそんなことを言い出すのよ。もし次に数珠を忍ばせても私は返しに来ないからね。その場で灰にしてやるわ」
政子は言い捨てた。二度同じ目にやられてたまるものですか。
馬を引き出す。政子の馬だ。黒い優しい目で慰めるように政子の肩に鼻を埋めてくる。その頬を撫で、政子は愛馬に謝った。それから笑顔で語りかける。
「一緒に館に帰りましょう」
馬を引く政子に、頼朝は珍しく怒ったような顔をして口を開いた。
「八重のことは愛していたが、身体は合わなかった。そなたのことはまだ愛してはおらぬ。でも身体の相性は誰よりも良い。だから、きっとそなたは私のものになる」
さすがの政子もその発言には顔を青ざめた。
「馬鹿! 弟の前で変なこと言わないでよ! 」
「変なことではない。どんなに愛していてもどうにもならぬことはある」
「こんの最低の好色家! もう二度と絶対、金輪際来ないからね!」
何て男! 政子は馬に飛び乗ると、もう後も見ずに駆け出した。

義時はそれを見ると、頼朝に頭を下げて追いかけようとした。だが、その義時に頼朝が声をかける。
「小四郎、そなたが私をどう思っていても良い。ただ姉を守ってやってくれ。そしていつでも声をかけてくれ。私はもう逃げぬ」
義時は、じっと頼朝を見た。頼朝も義時を見る。少しして、小さな声が答えた。
「俺は、姉がしたいようにするだけです」

政子は全速力で馬を駆けさせながら、何故か涙が溢れるのを止められなかった。
高い理想、溢れる知性、敬虔な信仰心。それと混じり合う、まるで子供のような無邪気さと奔放さ。
楽しかった。そう、純粋に楽しかったのだと政子は思い返していた。生まれて物心ついて以来、ずっとしっかりした長女を務めてきた政子にとって、この数日間は初めての経験で、だから非日常で楽しかったのだ。
ふと、何度も何度も施された行為を思い出して、政子は身体が熱を戻そうとしているのを感じた。兄とはまるで違う抱き方だった。何度も天地を往復させられた。政子はここ数日の乱れた自分を思い出し、かっと頬を染める。私、おかしくなってしまった。あの龍の夢を見てからすっかり変わってしまった。こんなことになるなんて。
でも、兄とも頼朝とも、もう触れ合うことはない。

 

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