北条政子。
伊豆の国の小さな土豪の家に生まれた、取り立てて美人でもない普通の娘。母が弟を出産した際に亡くなり、その直後、父は都で大番役を勤めるために伊豆を留守にすることになった。ゆえに、生まれたての弟の面倒と、家の中のあれこれを取り仕切る役目を押し付けられた政子は、近所では「嫁にゆき遅れた」娘として有名だった。
「五郎! どこに行ったの? 五郎! 怒らないから出てらっしゃい!」
大声で呼ばわりながら床下を覗き込む。
「あんの、いたずらっ子!」
怒らないから、とは口にしたものの、見つけた時に叱らないで済ませる自信は実はなかった。なぜなら、五郎はとんでもないいたずらを仕出かしてくれるからだ。まだ幼いくせに、五郎は器用で頭も良かった。
「時子! 小四郎と育子を呼んで来て、五郎を探すのを手伝ってもらって!」
おろおろと後を付いて来る時子に命じると、政子は草履を履いて庭に下りた。もう館の中にはいない気がする。外に下りたのだとしたら手を広げなくてはいけない。
「やだぁ、五郎ったらまたいなくなっちゃったの?」
のほほんと、空気をまるで読まずに現れたのは、政子の三番目の妹の育子。明るくて物事を大らかにとらえる性格なのはいいが、こういう時はあまり頼りにならない。でも、いないよりはましだ。
「小四郎は?」
政子は振り返りもせずに、庭の木の陰や、柵の隙間を覗き込みながら尋ねた。
「そこにいるじゃん」
育子の声に目を上げれば、政子のすぐ後ろに、ぬぼっとした顔で小四郎義時が立っていた。
「小四郎! あんたはまた。いるなら声くらいかけなさいよ!」
「……」
義時はだんまりのまま政子を眺めている。だが、彼は別に怒っているわけではなかった。この弟は小さい頃からいつもこうなのだ。
政子は大仰にため息をつくと、人差し指を庭の奥の方にびしっと向けて弟妹たちに命令した。
「五郎がいなくなったの! 館の中と庭を探して!」
号令と共に、わらわらと弟妹たちが方々に散る。それを確かめた政子は、今度は門に向かって駆け出した。
「五郎! 出て来ないと本当にひどいわよっ!」
政子の怒声が晴れた空に響き渡る。そんなに広くない領地、手狭な屋敷。その中を鬼の形相で走り回る政子。嫁にゆき遅れるに十分な理由であったろう。
だが、そればかりではなく政子は近所でも有名な「はねっかえり」だった。馬も弓も長刀も使いこなし、趣味は狩り、愛読書は漢詩という男らしい娘だったのである。
平安末期、地方の治安は荒み、盗賊や山賊などが跋扈していた。領土領民と自らを守るために、馬に乗り弓を射るのは武家の娘としては当然の習いであった。後に源平合戦で有名になる巴御前や板額御前などの女武者は当時としては別に不思議なことではなかったのである。が、それでも男と一緒に狩場に出て、獲物の大きさを競おうという女はそれほど多くなかった。
また、当時流行の美人は、色白・細い目・下膨れ・おちょぼ口。対して政子は、色黒、大きな目に大きな口、顎の尖った細面。大きな目をかっと見開いて、ずけずけと言いにくいことも平気で口にし、納得のいかぬことには返事すらしない政子は、近辺の男衆からは恐れられていた。
「あれを嫁に貰ったら大変だ」
何が大変って、嫁姑の争いである。出来る限り平和に穏便に、事なかれな暮らしを願う伊豆の男達は、自分の言いなりになるような大人しい娘を嫁に好んだ。
結果、年頃の娘ならば普通に舞い込んでくる付け文も、政子の元には届かなかったのである。救いは、政子自身に結婚の願望などがまるで無かったこと。政子は、うるさい父の留守をこれ幸いと、のびのびと幸せに逞しく暮らしていたのだった。
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こんにちは、八木沢くら様!初めまして!やまの龍と申します。
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鎌倉時代がお好き&頼朝(&北条氏)派だなんて本当になんて嬉しい……!
頼朝さん、いいですよね!北条も!本当嬉しくて涙出ます。
まだまだ勉強しながら書いてるような状態ですが、頑張って更新していきますので、また遊びに来てください!