第二章 「海賊の守り主 龍女オトヒメ」
房総半島の鼻先を航行していく船団があった。一艘の中型船に二隻の大型船。
先陣する中型船の帆先には一人の少女が風を正面に受けて立っていた。
年の頃、十四、五。淡い卯の花色の小袖に瑠璃色の四幅袴。膝より下は同じ瑠璃色の布で作られた脛巾を巻き、素肌が見えぬよう覆われていた。でも顔と首筋は海の女らしく褐色に焼けた肌が覗いている。
髪は黒く、馬の尾のようにきりりと高く結い上げられ、海風に煽られた旗のようになびいていた。大きな瞳は黒々と、その周りを長い睫毛が豊かに彩っている。形のよい唇は赤く、上がった口角がその気丈さを物語っていた。
少女は大きく両腕を開いて、海の風をいっぱいに胸に受ける。
「やっぱり三浦の風が一番いい香りね」
「そりゃあ、当たり前だ」
背後からの声に振り返れば、真っ黒に焼けた肌に赤茶けた髪の毛、隆々と盛り上がった筋肉、六尺はゆうに越える身長の大男が腕を組んで立っていた。
「秀太」
名を呼ばれた男は、少女の横に立つと満足げに頷いた。
「さすが、乙姫が船上の日は海が穏やかだな」
それから後航する二隻の船に目をやる。
「潮が変わる頃だ。準備はいいか」
少女は軽く頷くと口に指を当て、息を吹き込んだ。
「キュー」という鳴き声と共に波しぶきが上がる。陽の光を浴びて薄鼠色に光るは数頭のイルカ。
少女は船板から空高く身を踊らせ、海へと飛び込む。しばしして両腕を横に大きく広げた乙姫が海の中から迫り上がって来た。乙姫の足元には並んで泳ぐ二頭のイルカ。三隻の船からはヤンヤの大喝采が響いた。
無事に灘を過ぎると、乙姫はイルカ達の背をそっと撫でて手を振る。
「もう大丈夫よ。お帰り」
波の上を跳ねて外洋へ戻っていくイルカ達を見送りながら、乙姫は故郷の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「おお、戻ったか!」
六浦の港には、秀太よりも更に大柄な男が上機嫌な顔で待ち受けていた。着崩れた鼠色の直垂に、紐で捲り上げた袖からは黒光りする太い腕。無精髭をもうもうと生やし、ニヤニヤと人を食ったような笑みを見せている。
「お館。ただいま戻りました」
船の上では随分と大きく見えた秀太が、この大男の前では小さく見える。
「思ったよりも早かったじゃんか?」
「ええ、乙姫のおかげで波が良かったんで」
「そうかそうか。ほら、俺様の言った通りだろ? 乙姫、ありゃあ良い拾い物だったわ」
「私は物じゃないわ。それに私を拾ってくれたのは巴姐よ」
波間から少女が頭を覗かせ文句を言う。大男はガハハと大きな口を開けて笑った。
「巴は俺様の愛娘! 愛娘の物は俺の物!」
「だから私は物じゃないってば!」
ザバッと音を立て、小舟へと上がる少女。長い髪を絞れば辺りに水飛沫が跳ねる。
「よし、褒美に俺が京に連れて行ってやろう!」
少女が大男を見上げると、大男はニンマリ笑って右の親指と人差し指で輪を作って見せた。
「いい仕事が入った。すぐまた出航だ。巴に見つからないようにな」
「……へえ、何が『いい仕事』だって?」
背後からの声に、大男は笑顔を顔に貼り付けたまま固まる。背後の小船の上には腕を組んだ大柄な娘が仁王立ちしていた。
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