三月九日、将軍と御台所、尼御台、執権らを乗せた船が三浦三崎の桜の御所へと向かっていた。船上では雅な音楽が鳴らされ、舞や謡が行われていた。
音はその船上にて神事を執り行っていた。厳かな顔をしながらも、ちらちらと目を走らせては三郎の姿を探す。
でも、幕府の要人ばかりの錚々たる顔ぶれに、元服したての武士の子が付き従えるわけもないのだろう。それらしき姿はどこにもなかった。
音は内心がっかりしながらも懸命に舞った。袖を通したこともないような美しい絹の衣装を身に付け、鈴を両手に舞い謳った。
乙姫の鳴らす鈴の音にイルカ達が群れ集う。白波を立てて船を追いかける美しい海の獣の姿に、船上の人達は驚き感嘆の声を上げた。音は心の中でイルカ達に詫びる。ごめんね、今日は一緒に泳げないのよ。キューキューと自分を呼ぶ声に、音は小さく船板を叩いて応えた。
音の出番が終わった後のこと。尼御台・政子が思案気な顔で側近へと声をかけた。
「先程の鈴を持って舞った娘が、和田の乙姫と言われる海の巫女ですか?」
「はい。乙姫が乗る船は沈まぬと、三浦の海を治める者達は崇めて大切にしているとか」
「和田の姫なのね。母親は誰なの?」
「いえ、和田の生まれではないようですが」
「では、親はどこの家の者なのですか?」
「申し訳ありません。そこまでは……」
頭を低く下げる側近の横から、北条時房が「おやおや」と口をはさむ。
「姉上、随分としつこいですね。あの娘に何か問題でも?」
時房は政子の末の弟だった。泣く子も黙る尼御台にこのような軽口を叩けるのは今では彼くらいのものだ。
「いいえ。どこかで会ったことがあるような気がしたの。後で呼んで貰えないかしら。話がしたいわ」
政子は何か思い出そうとするように目を閉じる。時房は皮肉げに片頬を上げた。
「まさか頼朝公の御落胤とでも言うんじゃないでしょうね。そうだったら大問題だ」
人の悪い笑みを浮かべる弟を手で制して、政子は小さく首を横に振った。年の離れたこの弟は、政子が母代わりに育てた。甘やかし過ぎたかもしれない。
「五郎、ふざけないで頂戴」
時房は手のひらを開いて服従を見せ、船の後方へ下がった乙姫へと視線を飛ばした。
「ええ。私が調べますよ。言われてみれば確かに気になる。あの面影、大姫の幼い頃そっくりだ」
政子は黙って目を伏せた。
この記事へのコメントはありません。