鎌倉の朝夷奈館は、御所から東に六浦の港へと通じる鎌倉街道沿いの朝夷奈の地にあった。切り立った崖に守られた通行の難所であり、鎌倉を護る要所の役目も果たしていた。
その朝夷奈の館の裏手、人気のない倉の横手に恋人達は寄り添っていた。
「いつ、京に向かって起つんだ?」
口調こそ男ぶってはいるが、それは普段の彼女からは想像出来ないような甘やかな声。
「来月になったらすぐだ」
短く答え、胤連は巴の項に唇を寄せる。
「来年と言わず、今すぐ嫁いで来いよ」
急くような胤連の声に、巴は首を竦めて胤連の腕の中から抜け出す。
「胤連は京にいるんだろ?一人ここに残していく気かよ?」
「じゃあ、京まで一緒に付いてくるか?」
満更冗談でもない口調に巴は戸惑い俯く。
「京なんか、行けないよ。海を離れたくないし」
そう言ってパッと顔を上げる。
「なぁ、帰って来たら一緒に海賊やろうよ」
「船かぁ、俺は力仕事は苦手だからなぁ」
「それは俺がやるから大丈夫だよ。胤連はドンと構えててくれればいいのさ」
「確かに三浦宗家は伯父の義村殿の家系が継ぐだろうし、朝夷奈の名と土地を継いで水軍をやるのが一番いいよな。お前の親父殿はあと三十年は元気に海賊やってそうだけどな」
「クソ親父。早くくたばるか弱るかして、俺に船を譲ればいいのにさ」
ひどい悪態をつく巴に胤連は噴き出す。
「あーあ。親父殿が聞いたら号泣するぞ。お前は本当に船が好きだな」
巴は大きく頷くとニッと口を横に広げる。
「当たり前だ。俺は海賊だからな」
その巴に胤連は手を伸ばす。抱き寄せる。
「巴は海の上にいる時が一番生き生きしてる。それに綺麗だ」
「フン。どうせこういう格好は俺に似合わないよ」
巴は頬を赤くしてそっぽを向いた。自分でも分かっているのだ。娘らしい格好はどうも落ち着かない。
胤連を押しのけて歩き出した巴の腕を掴む手。巴は後ろへと引かれ胤連の胸の中に飛び込んだ。胤連の手が巴の着物の胸元から強引に中へと滑り込もうとする。
「いいや、綺麗だよ。見せろよ、海の魚が陸の上でどんな風に暴れるのか、どんな風に啼くのかをさ」
しっとりと囁く声に巴はカッと耳まで赤くして、気付いたら張り手を喰らわせていた。
「あ……っ。ご、ごめん!」
胤連は尻餅をつきながらも、真っ赤になった巴の顔を笑って見上げた。
「すぐに帰ってくるよ。それに、もし鎌倉に何かあれば京からでも駆けつける。『いざ、鎌倉』。頼朝公とした約束だからな」
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