「朝時は伊賀の方とうまくいっているの?」
そっと囁くような辺りを窺うような声。三郎はおずおずと小さく首を縦にふる。
「はい。兄はあの通り屈託のない性格で、誰とでもすぐに打ち解けますから」
政子は少し考えるような顔をした。
「そうね。考え過ぎとは思うけれど、朝時の行動に少し注意してやって。あと泰時に対してもよ?」
言葉の意味をはかりかねて、三郎は政子の顔を見上げる。
「伊賀の方は自らの生んだ子に跡を継がせようと考えているかもしれないわ」
「もしや、朝時兄を焚き付けて、将軍様のご不興を買うように仕向けたということですか?」
背中を冷たいものが這う。政子は曖昧に微笑むとそれ以上は何も言わずに館を後にした。
鎌倉はやはり恐ろしい場所だ。継母が今いるはずの北殿へとそっと目を流しながら三郎はこくりと息をのんだ。
その後、将軍の怒りを和らげようと尼御台は働きかけてくれたようだったが、朝時は富士へと蟄居させられることとなった。
そしてその月末、急ぐように三郎の元服が済まされた。元服式は父と泰時兄のみの立ち会いで内々に行われた。烏帽子親はいなかった。
泰時に烏帽子を乗せられ頭を上げた時、義時が書いて見せたその字に三郎は目を見開いた。
「これよりお前は『重時』と名乗るように」
北条重時。それが三郎に与えられた諱。その一族代々が引き継ぐ通字に、烏帽子親から貰う一字を付け足して名とされた。北条の通字は「時」。次兄の朝時は将軍・実朝を烏帽子親に「朝」の字を貰った。腹違いの弟の政村は三浦義村を烏帽子親に「村」と北条の祖である時政の「政」の字を継いだ。だが重時の「重」はどこから来たのか。
「重」の字を見て三郎が連想した武将はただ一人。幕府草創に華々しく活躍した勇将・畠山重忠。
――どうして「重」の字を?
由来を聞こうとしたが言葉が続かない。聞いてはいけないように感じた。
義時はしばし黙って三郎を見た後「励め」と言って席を立った。続いて泰時が立ち上がる。目が合うと兄は静かに微笑み頷いてくれた。三郎は黙って頭を下げた。そして、この日より三郎は北条重時と名乗る。
この記事へのコメントはありません。