第六章 「猫と侍と玉と寅と毒」
一二一九年、二月。その人は御簾の内側で晴れやかな顔をして笑っていた。
「尊長よ、実朝が死んだ。呪詛が効いたの」
満足気な声に一人の僧が深く頭を下げる。
「討った公暁も誅殺されたと。実朝には子がない。主を無くした幕府など何の大分名義もない。すぐにでも解体を命じようかの?」
楽しげな声に、僧は軽く首を横に振った。
「それはまだ早計にございます。ここ今こそ我慢が肝要。今少し揺さぶりをかけて完膚なきまでに叩き潰しましょうぞ」
「尊長、そちの言葉は頼もしいのぅ。その日が待ち遠しいわ」
上機嫌で扇を揺らめかせる人、後鳥羽院。院はその昔、『三種の神器』の揃わぬまま皇位を継いだ。継いだはいいが巨大な勢力を誇る祖父の後白河院が健在だった。その後白河院が亡くなった途端、源頼朝が征夷大将軍の位を強引に奪取する。その頼朝が落馬で死んで二十年余り。後鳥羽院は粛々と倒幕準備を進めていた。そしてこの正月二十七日、源実朝が鶴岡八幡宮にて甥であり養子である公暁に首を落とされた。ここに機は熟す。虎視眈々と王権復古を狙っていた後鳥羽院は、今まさに動き出そうとしていた。
「皇子を鎌倉の将軍として寄越せだと?」
跡継ぎのない幕府は皇子将軍をたてようと院に打診していた。北条は過去様々な氏族を討ち滅ぼしてきた。それら残党は西国や東北に逃れ身を潜めていたが、今や京に集められつつあった。後鳥羽院は強気の交渉に出る。
「皇子が欲しくば、摂津の地頭職を改めよ」
守護・地頭の任命権は幕府政権の根幹。幕府が要求を呑めば幕府権限は崩壊したも同然。あとは無し崩し的に権利を取り上げていくだけだ。だが義時は院の要求を突っぱね、武力で脅しをかけた。すると院は負けずに鎌倉に近しい公家達を遠ざけ始めた。京と幕府の間には緊迫した空気が流れるようになる。
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